日本シン名所百選 日本シン名所百選

運営者・一順二について

一順二(にのまえじゅんじ)
猫のロキ

日本の隠れた名所を訪ね歩き、その魅力を言葉に紡ぐ旅──それが私の生き甲斐となった。

名前は一順二、読んで字のごとく「にのまえじゅんじ」。四十路を迎えた今も独身を謳歌する、自称「現代の松尾芭蕉」である。もっとも、芭蕉のような風雅さはなく、ただ食べることと温まることが好きな、どこにでもいる中年男だ。

幼い頃から言葉を紡ぐことに喜びを見出していた私は、大学で文学を専攻。卒業後はしばらく組織に身を置いていたが、十年ほど経験を積んだ後、思い切って独立。以来、フリーランスのライターとして生計を立てている。

「ニッポン再発見」をモットーに、全国各地の知られざる名所や食の聖地を訪ね歩き、その魅力を文章に落とし込む日々を送っている。ミシュランの星を獲得した高級レストランから、路地裏の名もなき大衆食堂まで、味わいの本質を追い求めて舌を肥やしてきた。同時に、日本各地のサウナや温泉を訪れ、体と心を解放する喜びも知った。

私の取材スタイルは「感じること」を大切にしている。単なる情報の羅列ではなく、その場所が持つ空気感、温度、香り、そして人々の表情まで、五感で受け止めたものを言葉に変換する。時に詩的に、時に滑稽に、しかしいつも誠実に。

これまで訪れた場所は六百を超える。北は北海道の利尻島から南は沖縄の波照間島まで、日本列島を縦横無尽に駆け巡ってきた。中でも心に残るのは、信州の山間にあるキャンプ場に隣接したアウトドアサウナだ。白樺の森に囲まれ、渓流の水に身を浸す瞬間の感動は、都会の喧騒を忘れさせてくれる。「ととのい」という言葉が流行る遥か前から、私は熱と冷水の対比が生み出す悦楽を追い求めてきた。

食においては、京都の路地裏に佇むある肉割烹の牛テール煮込みが忘れられない。肉がほろりと崩れ、濃厚な出汁に溶け込む瞬間、言葉を失った。それは単なる「美味しい」という感覚を超えた、魂の震えるような体験だった。

こうした旅を続けるうちに、私の文章は徐々にそこそこ読まれるようになり、現在は、ウェブマガジン「日本シン名所百選」のプログラマー兼寄稿者として活動している。遅くとも週一本、調子のいいときは毎日一本のペースで、まだ知られていない日本の魅力を発信し続けている。

独身という身軽さを活かした取材旅行は、私の人生に彩りを与えてくれる。もっとも、友人からは「結婚よりもサウナと食事を選んだ男」と揶揄されることもある。四十路を迎えた今、姪っ子には「おじさんはサ活と食活だけが生きがいなの?」と真顔で問われる始末だ。まあ、間違ってはいない。

帰る家に誰もいなくても、日本中に「また来たよ」と声をかけられる場所があることが私の誇りだ。女将さんの笑顔、板前の包丁さばき、見知らぬ土地で出会った地元の人々との会話──それらすべてが私の人生を豊かにしてくれる。

取材の際には、カメラと小さなノートを常に持ち歩いている。しかし最も大切にしているのは、先入観を持たずに場所と向き合う姿勢だ。有名であろうとなかろうと、その場所が持つ本質的な魅力を見出すことを心がけている。

文章を書く時は、朝の光が差し込む自宅の書斎で。大きな窓から見える小さな庭と、猫のロキ(♂・推定11歳・気難しい性格)を眺めながら、取材先での体験を思い出す。時に言葉が出てこなくて苦しむこともあるが、そんな時はロキに愚痴をこぼす。彼の無関心な背中は、いつも私に「別におまえがいなくても世界は回る」というメッセージを送ってくる。ありがたい教訓だ。

旅と食とサウナ──この三つの要素が私の人生を形作っている。年を重ねるごとに体力の衰えを感じることもあるが、好奇心だけは若い頃より増しているように思う。まだ見ぬ場所、まだ味わぬ食事、まだ体験していない温もりを求めて、これからも日本各地を巡り続けるだろう。

そして願わくば、いつか誰かと共にこれらの体験を分かち合える日が来ることを。もっとも四十年以上独りで生きてきた男が、急に変われるとも思えないが。「五十路でも一人で温泉に入る男」というタイトルの自叙伝を書く日も、そう遠くはないかもしれない。

人生の折り返し点を過ぎ、これから先の時間をどう使うかを考える今日この頃。明日はどこへ行こうか、何を食べようか、どこで温まろうか。そんな贅沢な悩みを抱えながら、これからも私は旅を続ける。

そして、あなたもぜひ私の言葉の旅に連れ立ってほしい。知られざる日本の魅力を、共に発見する旅に。

文・一順二(にのまえ じゅんじ)