北八ヶ岳の懐に抱かれた小さな温泉がある。「ヤッホー」と山に向かって叫びたくなるような、そんな開放感に満ちた場所。標高1,270メートル、長野県南佐久郡小海町に佇む「八峰の湯」は、地元では「ヤッホーの湯」という親しみやすい愛称で呼ばれている。
白樺林を背に、八ヶ岳の雄大な山々を望むこの温泉は、都会の喧騒から解放されたいと願う人々の隠れた逃避先だ。木造を基調とした建物は自然と調和し、まるで森の中に溶け込むように存在している。
源泉から直接引かれた湯は、ナトリウム・マグネシウム・カルシウム-炭酸水素塩泉という全国的にも珍しい泉質を誇る。薄い黄緑色をした湯は、肌を優しく包み込み、知らぬ間に体の芯まで温めてくれる。特に美肌効果が高いと評判で、天然の保湿成分であるメタケイ酸が豊富に含まれているという。美を求める女性たちが静かに通い続ける理由がここにある。
開放的な露天風呂からは、季節によって表情を変える八ヶ岳の絶景を一望できる。春には新緑、夏には深い緑、秋には燃えるような紅葉、冬には厳かな雪景色。山々の姿を湯に浸かりながら眺めていると、日常の悩みが遠くに流れていくような感覚に包まれる。
この温泉の魅力は湯だけではない。独特のボナサウナは体を芯から温め、定期的に行われるオートロウリュによって湿度が高まると、発汗作用がさらに促進される。水風呂には八ヶ岳の天然水が使用され、一人用の陶器の壺風呂で静かに体を冷やすことができる。サウナと水風呂を交互に楽しむサウナ愛好家たちにとって、ここは山間の隠れた聖地となっている。
「お寄りなんし」「おあがりなんし」と名付けられた食事処では、地元の食材を活かした料理が提供される。ボリューム満点の「デカ盛り みそだれ&チャーシュー丼」や熱々の「石焼き四川麻婆豆腐」など、温泉で温まった後の体に染み渡る味わいが待っている。地元の新鮮な野菜を販売するコーナーもあり、小海町の恵みを持ち帰ることもできる。
八峰の湯の歴史は比較的新しい。2000年に温泉源泉が開発され、2007年7月に正式にオープン。2023年3月には大規模な改修工事を経て、新たな姿で生まれ変わった。それでも変わらないのは、この場所の持つ本質的な魅力だ。
近くには、建築家・安藤忠雄氏が設計した小海町高原美術館があり、松原湖では釣りやボート遊びを楽しむことができる。温泉巡りの旅人たちは、この地域の豊かな自然と文化に触れながら、八峰の湯を訪れる。
電車では、東京から北陸新幹線で佐久平駅まで約1時間15分、そこから小海線に乗り換えて約45分で小海駅に到着。駅からはバスやタクシーで温泉まで向かう。また、中央自動車道や中部横断自動車道からのアクセスも比較的容易で、広い無料駐車場も完備されている。
年間を通して様々なイベントが開催されるこの温泉では、特にサウナや岩盤浴に関連したイベントが人気だ。毎週水曜日の女性限定アロマキューゲルや、毎月8日、18日、28日の男性向け熱波ロウリュウサービスなど、訪れる人に特別な体験を提供している。
八峰の湯に集う人々は実に様々だ。温泉愛好家は源泉かけ流しの湯を、サウナマニアはオートロウリュと八ヶ岳の天然水の水風呂を、家族連れはバリアフリー設備や福祉浴室を、写真愛好家は絶景の露天風呂からの眺めを求めて訪れる。それぞれが自分だけの楽しみ方を見つけ、静かに満足感に浸っている。
北八ヶ岳の懐に抱かれたこの小さな温泉は、日常から切り離された特別な時間を提供してくれる。都会の喧騒を忘れ、自然と一体になりたいと願う人々の心を癒す場所。山々の静けさの中に佇む八峰の湯は、忙しい現代人に贈る至福の時間なのかもしれない。
雄大な八ヶ岳を望みながら、源泉から湧き出る湯に身を委ねる。頬を撫でる高原の風、耳に届く小鳥のさえずり、鼻をくすぐる白樺の香り。五感全てで自然を感じながら過ごす時間は、私たちの心と体に深い安らぎをもたらしてくれる。
それは単なる入浴体験ではなく、自分自身と向き合う静かな旅。八峰の湯は、そんな特別な時間を求める人々に、そっと手を差し伸べている。「ヤッホー」と山に向かって心の底から叫びたくなるような、そんな解放感に満ちた場所で、あなたも自分だけの温泉体験を見つけてみてはいかがだろうか。
文・一順二(にのまえ じゅんじ)

