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カンテサンス

東京品川、喧騒から少し離れた場所に佇む美食の殿堂がある。カンテサンス——その名は「本質」を意味し、訪れる者に真の美食体験を約束する。この場所は単なるレストランではない。フランス料理と日本の感性が織りなす美食の物語、そして一貫した卓越性の探求の証だ。

カンテサンスのラム料理

愛知県出身の岸田周三が紡ぐ料理の物語は、2006年に始まった。パリの名店「アストランス」で修業を積んだ彼は、フランスの技法と日本の食材への深い理解を融合させた独自の世界を創り上げた。

あるとき友人と共に彼の料理に出会い、その衝撃を今も忘れない。皿の上に広がるのは芸術作品のような美しさと、想像を超える味わいの調和だった。記憶に残るのは、彼の料理哲学の核心となる「食材」「火入れ」「味付け」という三位一体の完璧なバランスだ。

彼の料理は決して派手ではない。むしろ控えめで、しかし一口食べれば、その奥に隠された深遠な味わいに心を奪われる。岸田の手にかかれば、最もシンプルな食材さえも輝きを放つ。

「食材は語りかけてくる」と彼は言う。「それに耳を傾け、その本質を引き出すことが私の仕事だ」。この哲学は彼の全ての料理に息づいている。

カンテサンスで食事をするということは、自分の選択肢を手放し、シェフの創造性に身を委ねるということだ。この店では「Menu Carte Blanche」(おまかせコース)のみを提供し、訪れる日によって全く異なる料理の旅が待っている。

友人と共に訪れたとき、私たちは隣のテーブルで興味深い会話を耳にした。料理が運ばれるたびに「これは何の魚?」「この調理法は?」と給仕スタッフに質問が投げかけられ、丁寧な説明が返ってくる。その光景を見ながら、友人と目を合わせ、私たちは無言で頷いた。カンテサンスは単に空腹を満たす場所ではなく、発見と感動の場なのだと。

驚かされるのは、同じ季節に訪れても全く同じ料理に出会うことはないという事実だ。岸田シェフは常に進化し、同じ食材でも異なるアプローチで表現する。それは料理人としての飽くなき探求心の表れなのだろう。

カンテサンスのスペシャリテ・ヤギ乳のババロア

カンテサンスの魅力は、フランス料理の技法に日本の感性が融合した独自の世界観にある。それは単なる「フュージョン」ではなく、二つの食文化が真に調和した結果だ。

例えば、ある夏の訪問で出会った料理。丁寧に下処理された牛のミノが絶妙な火入れで仕上げられ、その上には香り高い柑橘系のソースがかけられていた。一見シンプルな内臓肉に、繊細な酸味と複雑な風味が重なり合う。最初の一口で、フランス料理の技法と日本の食材感覚が完璧なハーモニーを奏でているのを感じた。

それは「日本の食文化を持つ日本人のためのフランス料理」という岸田シェフのビジョンそのものだった。彼は単に東京でフランス料理を再現しているのではない。日本人の味覚や美意識を深く理解した上で、新たな美食の形を創り出しているのだ。

私が特に感銘を受けたのは、彼の「火入れ」に対する細やかな技術だ。肉や魚の温度や火入れ具合は、ミリ単位で調整されている。これは「キュイソン」と呼ばれるフランス料理の核心的技術だが、岸田シェフはそれを日本の繊細な感覚で昇華させていると感じる。

同じ訪問で隣のテーブルに座っていた年配の紳士は、フォークを置きながら感嘆の声をあげた。「これは革命だ。フランス料理の概念を根本から覆している」。その言葉に友人と私は静かに頷いた。それこそが岸田シェフの真の天才性を表していたからだ。

カンテサンスの魅力はその料理だけではない。約30席という限られた空間の中で繰り広げられる、洗練された時間の流れもまた、訪れる者を魅了する。

入店するとまず感じるのは、その静謐な雰囲気だ。大げさな装飾はなく、シンプルでありながらも上質な空間が広がっている。そこには「料理こそが主役」という明確なメッセージが込められている。

もう一つの特徴は、ダイニングルームでの写真撮影が控えめに求められていること。初めて訪れた時、友人と私はこのルールに少し戸惑ったが、すぐにその意図を理解した。それは「今この瞬間」に集中することの大切さを教えてくれるのだ。

料理が運ばれてくると、その瞬間だけに集中できる。SNSへの投稿のことを考えず、ただ目の前の一皿と向き合う時間。それはデジタルに囲まれた現代において、稀有な贅沢かもしれない。

カンテサンスの予約は非常に難しい。それは同店の評判の高さを示すと同時に、訪問前の期待感を高める要素でもある。

私が友人と初めて予約を試みたのは、コロナ禍のさなかだった。世界が不安に揺れる時期であっても、カンテサンスへの予約は予約開始からわずか数分で満席になるという状況に、諦めかけたこともある。しかし、粘り強く挑戦し続け、ついに予約を獲得した時の喜びは格別だった。その喜びをLINEで友人と分かち合った瞬間は、美食への旅の始まりのような高揚感を与えてくれた。

予約が確定すると、レストランからは丁寧な確認の連絡が入る。アレルギーや好みについての質問があり、それぞれのゲストに合わせた料理を提供する姿勢が感じられる。ただし、あまりに多くの食材を避けたい場合は、予約をお断りすることもあるという。これは「代替品で妥協しない」という彼らの料理哲学の表れだろう。

予約からレストランに足を踏み入れるまでの期間、友人と私はカンテサンスでの食事について様々な想像を膨らませた。その期待感自体が、食事体験の一部なのかもしれない。

カンテサンスの評価は揺るぎない。2007年に東京ミシュランガイドが初めて発行されて以来、一貫して三ツ星を獲得し続けている。これは並外れた料理の質とサービスの証明だ。

ある食評家は「カンテサンスは料理の本質を追求する真摯なレストラン」と評し、別の評論家は「日本とフランスが最も美しく調和した場所」と称えた。

しかし私と友人にとって最も印象的だったのは、あるディナーの帰り際、隣に座っていた初老の紳士が漏らした言葉だ。「私は20年間、世界中のレストランを訪れてきた。しかし、ここほど心に残る場所はない」。その言葉には、数々の批評よりも重みがあった。

カンテサンスが提供するのは、単なる「美味しい料理」ではない。それは訪れる者の感性と対話し、時には心の奥深くまで響く体験だ。料理を通じた対話は、時に言葉よりも雄弁に私たちの心に語りかけてくる。

カンテサンスの魚料理

カンテサンスの真髄は、季節との対話にある。春夏秋冬、そして季節の変わり目に訪れるたびに、全く異なる料理の世界が広がる。

ある春の訪問で、友人と私は生まれて初めてユリ根の持つ可能性を知った。岸田シェフの手にかかると、この控えめな食材が主役級の存在感を放つのだ。薄くスライスされ、ほんのりとしたバターの香りを纏いながらも、その本来の甘みと食感は見事に保たれていた。

その後の秋には、フォアグラと栗のハーモニーに出会った。フランスの贅沢な食材と日本の風味豊かな栗が見事に調和し、舌の上で踊るような味わいを生み出していた。

そして冬。厳しい寒さの中で育まれた根菜類と、丁寧に火入れされた肉の組み合わせは、体の芯から温まるような満足感をもたらした。

岸田シェフはその時々で最高の食材を見極め、その本質を引き出す。その姿勢は、日本の「旬」の考え方とフランス料理の技術が融合した結果なのだろう。

カンテサンスの食事で私たちが印象に残ったのは、ある日いただいた前菜のヤギ乳のバヴァロアだった。創業以来変わらない看板料理と聞いて、友人と顔を見合わせ驚いた。

それを口にした時、その複雑さと繊細さに言葉を失った。ヤギ乳特有の風味が、絶妙な塩加減と完璧にバランスしている。それはどこか懐かしく、しかし新しい。フランスの伝統的な料理形式を取りながらも、どこか和の要素を感じさせる不思議な一品だった。

この前菜は、その後に続く料理の序章として完璧な役割を果たしていた。友人はその夜、何度も「あのババロア、素晴らしかったね」と言葉にしていた。

カンテサンスでの食事体験は、単なる「美味しい」を超えた旅だ。それは食材への敬意、技術の粋、そして日本とフランスという二つの食文化の調和を体現している。

品川の静かな一角に佇むこのレストランは、グルメの聖地として今や世界中の食通を魅了している。しかし岸田シェフの謙虚さと料理への真摯な姿勢は、成功後も全く変わっていない。

あるディナーの終わり、友人と私は偶然ロビーで岸田シェフと言葉を交わす機会があった。彼は穏やかな笑顔で「いかがでしたか」と尋ねた。その瞬間、私たちは彼の料理に込められた思いの深さを感じた。彼の料理は、食を通して人々に感動を届けたいという純粋な願いから生まれているのだと。

カンテサンスの名は「本質」を意味する。それは食材の本質、料理の本質、そして美食体験の本質を追求する場所なのだ。東京の美食の頂点に立つこのレストランは、これからも多くの人の心と舌に忘れられない記憶を刻み続けるだろう。

文・一順二(にのまえ じゅんじ)

一順二(にのまえじゅんじ)
猫のロキ
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