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洋食つばき

「洋食つばき」が紡ぐ、和牛と古き良き時代の饗宴

夕暮れ時、岐阜の里山に佇む一軒の古民家。その扉を開けば、時が止まったような静寂と、まるで絵画のような光景が広がる。築150年を超える富山から移築された古民家は、灯りに照らされ幻想的な姿を見せる。ここは「洋食つばき」—単なるレストランではなく、日本の伝統と西洋の技法が交わる美食の聖地だ。

洋食つばき外観

小道を進み、玄関で靴を脱ぎ、和紙のランチョンマットが敷かれたテーブルへと案内される。庭からは小川のせせらぎが聞こえ、都会の喧騒を忘れさせてくれる。この瞬間から始まる旅は、味覚と感性を揺さぶる体験となるだろう。

「和牛洋食」—その言葉には、店主である田中覚氏の人生哲学が込められている。馬喰の祖父と精肉店を営む父の下で育ち、10歳で初めて包丁を握った彼は、自らを「肉師」と称するほどの和牛のエキスパートだ。25歳で焼肉店を開業して以来、その味は多くの食通を魅了してきた。2019年には名古屋市の「肉屋雪月花」でミシュランプレートを獲得。その実績を持つ田中氏が今、私たちの記憶に刻まれた洋食の定番に、全く新しい命を吹き込んでいる。

夜のメニューを開けば、そこには見慣れた名前が並ぶ。ビーフカツ、ハンバーグ、オムライス—だが、その中身は想像を超える贅沢さだ。名物のビーフカツは、特選銘柄牛シャトーブリアン、和牛ヒレ、和牛赤身ランプといった極上の部位から選べる。中でも赤身ランプは、その柔らかさを最大限に引き出すため、低温でじっくりと揚げるという手間暇を惜しまない。

「つばきハンバーグ」は、つなぎを一切使わないという潔さが美しい。肉の旨味だけで勝負する、その自信と誇りが感じられる一品だ。「肉屋が考えた、肉屋にしかできない和牛洋食」という言葉に偽りはない。

つばきハンバーグ

店内には、使用している牛肉の銘柄と個体識別番号が掲示されている。飛騨牛、松坂牛、三河牛、近江牛、神戸牛—田中氏はこれらの銘柄和牛と長年向き合い、その魅力を最大限に引き出す術を知り尽くしている。そして、その知識と情熱が「洋食つばき」の料理となって表現されるのだ。

白地に金縁の皿に盛られた料理は、まるで芸術品のよう。一口噛めば、舌の上で肉の旨味が踊り、時に柔らかく、時に力強く、複雑な味わいが口の中いっぱいに広がる。デミグラスソースやコンソメスープにまで、最高等級の銘柄和牛を使用するという徹底ぶりは、食材への深い敬意の表れだろう。

ここでの食事は、単なる満腹感を得るためではない。それは、和牛という日本の誇りと、洋食という明治以降に育まれた文化の融合を、五感全てで体験する旅なのだ。築150年の古民家が語りかける歴史と、A5ランクの和牛が奏でる美食のシンフォニーが、唯一無二の時間を創り出す。

岐阜駅から車で20分、ナビがなければ辿り着けないほどの隠れ家。そんな場所にありながら、秋元康氏や中田英寿氏といった著名人も足を運ぶという評判の高さ。情報サイト「にほんもの」では全国2位に選ばれるほどの評価を得ている。その理由は、ただ食べるだけでなく、日本の伝統と食文化を体験できる稀有な場所だからだろう。

明治や大正の時代にタイムスリップしたかのような空間で、現代の技術と伝統が融合した料理を堪能する。「洋食つばき」は、岐阜の里山に咲く、一輪の美しい椿の花のよう。その美しさと儚さ、そして芯の強さは、日本人の美意識そのものを映し出している。

夜、古民家をライトアップする灯りは、かつての日本の暮らしと、現代の技術が生み出す味わいを繋ぐ架け橋となる。肉師・田中覚氏の手によって紡がれる「和牛洋食」という物語は、これからも多くの人々の記憶に、深く刻まれていくことだろう。

文・一順二(にのまえ じゅんじ)

一順二(にのまえじゅんじ)
猫のロキ
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