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釜浅商店

合羽橋の空に浮かぶ刃と鉄の音色、百年の歴史が紡ぐ「釜浅商店」の世界へようこそ。明治41年に浅草の喧騒の中で産声を上げた熊澤鋳物店は、時を経て「釜浅」という名に姿を変え、今も東京の食文化の片隅で静かに輝いています。

初夏の陽光が差し込む店内に一歩足を踏み入れると、そこはまるで異世界。カフェのような洗練された空間に、鋭い光を放つ刃物たちが整然と並び、重厚な鉄器が静かな存在感を放っています。他の合羽橋の店々とは一線を画すその雰囲気に、初めて訪れた人も思わず足を止めてしまうでしょう。

百年以上の歴史を経た今、四代目の熊澤大介氏が受け継ぐのは、単なる商いの技ではありません。「良い道具には良い理(ことわり)がある」という哲学は、この店の血脈となって脈々と流れています。刃物一つ取っても、その素材、形状、重さ、バランス、全てに意味があり、その「理」を知ることで、道具は単なる物体から、使い手の手の延長へと変貌を遂げるのです。

釜浅の真骨頂は、その圧倒的な品質と専門性にあります。「amane」と名付けられたオリジナル包丁シリーズは、「普遍」を意味する「あまねく」から取った名前通り、究極のスタンダードを追求しています。岐阜県関市の「包丁のフジタケ」との共同開発によるこの包丁は、プロ仕様のV金10号ステンレス鋼を使用し、滑らかな切れ味を実現しています。

また、ファッションブランド「ミナ ペルホネン」とのコラボレーションで生まれた「人生包丁」には、作り手と使い手の長く続く関係性という思想が込められています。白紙二号鋼と桜材の柄を組み合わせたこの包丁は、単なる調理道具を超えた、人生の伴侶となるよう設計されているのです。

店内を進むと、山田工業所製の鉄打出しフライパンに目が留まります。数千回叩く独自の製法により強度と蓄熱性を高めたこの逸品は、プロの料理人たちからも厚い信頼を得ています。南部鉄器の様々な形状の鍋も、均一な熱伝導と高い保温性で、料理の味わいを一段と引き立てることでしょう。

釜浅商店の魅力は製品だけではありません。プロの研ぎ師による包丁の研ぎサービスは、顧客の大切な包丁が長く使えるよう細心の注意を払って行われます。また、購入した包丁への無料の名入れサービスは、道具への愛着をさらに深めてくれるでしょう。

こうした姿勢が、合羽橋を歩けば必ず見かける「釜浅の袋を持つ人々」の存在につながっています。国内だけでなく、海外からの観光客も多く訪れるようになり、その評判は国境を超えて広がりつつあります。

時代は変われど、ここには変わらぬ「理」があります。料理道具は単なる物ではなく、食を通じて人々の暮らしを豊かにする架け橋。釜浅商店は、その架け橋を百年以上にわたって守り続けてきたのです。店内の静かな空気に触れながら、刃の輝きに見入る時間は、忙しい日常を忘れさせてくれる特別なひとときとなるでしょう。

合羽橋商店街一角に佇む釜浅商店。その扉の向こうには、日本の食文化を支える「良理道具」の世界が広がっています。あなたの手の中で輝く一振りの包丁、あたたかな重みの鉄鍋が、これからの食卓にどんな物語を紡いでいくのか—。それは、あなた自身の手に委ねられているのです。

文・一順二(にのまえ じゅんじ)

一順二(にのまえじゅんじ)
猫のロキ
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