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竜飛崎

津軽半島の最北端に岬はある。冬は荒れ狂う風と波が日本海と津軽海峡の境目を打ち、夏は濃霧が立ち込める。そんな厳しい自然環境の中に、人は灯台を建て、線路を引き、トンネルを掘った。竜飛崎とは、自然と人間の闘いと共存の物語が刻まれた場所だ。

青森県の西北、日本本土の最北端近くに位置するこの岬は、本州と北海道を隔てる津軽海峡を見下ろす。その断崖から見える風景は、時に静寂に包まれ、時に荒々しく変貌する。日本海と太平洋がぶつかり合う激しい潮流は、古来より船乗りたちを恐れさせてきた。

竜飛崎の名は「たっぴざき」と読む。古くは「龍飛」と書かれていた。その由来については諸説あるが、岬の形が龍が天に昇るように見えることからとも、あるいは嵐の日に波が打ち付ける様が龍が飛び跳ねるように見えることからともいわれる。いずれにせよ、この地の自然の力強さを表す名前だ。

この岬に立てば、晴れた日には北海道の山々を望むことができる。わずか20キロメートルの海を隔てて、本州と北海道が向かい合う。この近さが、人々に「つなぎたい」という思いを抱かせてきた。

明治時代、青函連絡船が津軽海峡の定期航路となった。しかし冬の荒波と濃霧は、幾度となく船の運行を妨げた。海峡を越えるより確実な方法として浮上したのが、海底トンネルという壮大な計画だった。

竜飛崎はその計画の要となった。青函トンネル工事は1964年に調査が始まり、1971年に本格的な掘削工事が始まった。工事は困難を極めた。海底での掘削は予測不可能な自然との戦いだった。トンネル内に海水が噴出する事故も何度も起こった。作業員たちは「負けるものか」という思いで、日々岩盤と向き合った。

工事中に設けられた竜飛斜坑は、今も見学施設として残る。地下に降りる斜坑電車に乗れば、海面下140メートルの世界へと案内してくれる。かつての作業員たちの苦労を、肌で感じることができる空間だ。

岬の上には、昭和2年(1927年)に建てられた竜飛灯台がある。白い塔体は、百年近くにわたって航行する船の安全を守ってきた。灯台から見る日本海に沈む夕日は、訪れる者の心を打つ美しさを持つ。

竜飛崎周辺には、もう一つの名所がある。かつて鉄道の建設計画があったものの、実際には線路が敷設されなかった跡地を利用した「階段国道」だ。362段の階段は、国道339号の一部として知られる。ここを上り下りすれば、竜飛の厳しい地形を体感できる。

夏には、三厩港周辺で運が良ければ、津軽海峡を回遊するイルカに出会えることもある。彼らは海峡の潮流を利用して泳ぎ、時に船に併走してくれる。自然の生き物たちもまた、この地の厳しさと豊かさを知っているかのようだ。

春に咲く断崖の花々、夏の朝日、秋の渡り鳥、冬の荒波。竜飛崎は四季折々の表情を見せる。それは時に厳しく、時に優しい。人間はその自然と向き合い、時には屈し、時には乗り越えてきた。

灯台守は嵐の夜も灯りを絶やさぬよう見守り、トンネル工事の作業員は岩盤に挑み続けた。北の果ての岬には、日本人の忍耐と挑戦の精神が凝縮されている。竜飛崎は単なる観光地ではなく、人間と自然の限りない対話の場所なのだ。

文・一順二(にのまえ じゅんじ)

一順二(にのまえじゅんじ)
猫のロキ
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