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水庭

水庭

那須の水庭は単なる庭園ではない。

深い森に潜むように存在する水庭は、訪れる者に静謐な時を約束する。栃木県那須の丘陵地帯、かつて森林が生い茂り、やがて水田となり、牧草地へと姿を変えた大地に、建築家・石上純也が描いた夢は形となって広がっている。 緑深い苔の絨毯を踏みしめると、足下から伝わる大地の息吹。目を向ければ、大小約160の池が点在し、その黒い水面が空を映し出す。池と池を縫うように配された飛び石を渡りながら進む道のりは、緊張と解放のリズムを全身に刻む。318本もの樹木が、風に葉を揺らし、その木漏れ日が水面に揺らめくとき、時間の流れさえも違って感じられる。

水庭が他の庭園と一線を画すのは、その成り立ちにある。約4年の歳月をかけて丹念に作られたこの場所は、隣接するヴィラやレストランの開発によって伐採される運命にあった樹木たちを救おうとする意図から始まった。石上は一本一本の樹木を詳細に調査し、綿密な模型とシミュレーションを重ね、樹種、大きさ、樹形を見極めながら、それぞれの配置を決定していった。ランドスケープデザイナーとしての経験がないからこそ、そこに情熱を注ぎ、試行錯誤を繰り返したという。

水庭の循環システムは、敷地脇を流れる上黒尾川から引き込まれた水が、地下に張り巡らされたパイプを通してそれぞれの池へと流れ込み、再び川へと戻る仕組みとなっている。この循環は、庭園の景観を維持するだけでなく、多様な生物が生息する環境を育んでいる。苔の間にはおたまじゃくしが泳ぎ、ヘビや鳥など、様々な生き物が息づく自然の営みがそこにはある。

石上の意図は単なる美観の創出に留まらない。彼は樹木、水、苔という既存の自然要素を、自然界には存在しないような密度と関係性で複層的に重ね合わせることで、全く新しい風景を出現させることを試みた。それは「計算された自然」とも表現される、人間の緻密な設計と自然の偶然性が織りなす独特の景観を生み出している。

庭園内に点在する石の椅子は、訪れる者を招き入れる。そこに腰掛け、周囲の景色に身を委ねれば、水の流れる音、風に揺れる葉のざわめき、遠くに聞こえる鳥の声が、都会の喧騒から解き放たれた感覚をもたらす。庭園の奥に佇む「築山」と呼ばれる小高い丘からは、水庭全体の姿を見渡すことができる。その景色は、まるで水墨画のような奥行きと余白を感じさせる。

四季を通じて水庭は表情を変える。春には新緑が芽吹き、池にはおたまじゃくしやカエルの卵が見られる。夏は緑が深みを増し、苔も鮮やかさを放つ。秋には木々が燃えるような紅葉に染まり、冬には雪が庭園を覆い、黒い水面とのコントラストが幻想的な美しさを醸し出す。

那須の水庭を訪れるには、東北自動車道の那須ICから車で約20分。あるいは那須塩原駅から無料のシャトルバスも運行している。事前予約が推奨され、ガイド付きツアーに参加することで、より深く水庭の魅力を理解できるだろう。

水庭はかつて『アートビオトープ那須』として知られた施設に隣接し、現在は『那須 無垢の音』として新たに再オープンしている。宿泊施設も備えており、周辺には那須岳や那須ハイランドパーク、那須どうぶつ王国など、様々な観光スポットも点在するため、那須エリア全体を巡る旅の一環として訪れるのも良いだろう。

訪れた人々は口々に「絵画のようだ」と表現し、人工的に作られたものでありながら、深い自然の中に身を置いているような感覚を味わえると証言する。ガイドツアーに参加することで、デザインや歴史についての理解が深まり、雨の日には雨の日の趣も楽しめるという。

石上純也は妹島和世建築設計事務所での経験を経て独自の建築言語を確立し、日本建築学会賞やヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展金獅子賞など、数々の栄誉に輝いてきた。彼の手によって創られた水庭は、建築とランドスケープの境界を曖昧にしながら、過去と現在、自然と人工、具象と抽象といった二項対立を超える第三の存在として、訪れる者の心に静かな問いを投げかける。

そこに生まれる風景は、言葉を超えた体験として記憶に刻まれる。那須の水庭は、芸術と自然が融合した時空間として、現代の喧騒を離れ、内なる静けさと向き合う貴重な場を提供している。風と水と光の交響曲が奏でる、那須の水庭の魅力は、体験した者にしか真に理解できないものなのかもしれない。

文・一順二(にのまえ じゅんじ)

一順二(にのまえじゅんじ)
猫のロキ
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