閑静な住宅街が広がる参宮橋の駅から徒歩わずか一分。商店街を下った先、牛丼屋の隣にある階段を降りると、そこは別世界。地下に潜むように佇む「レガーロ」は、喧騒から離れた大人の隠れ家だ。
細い階段を下りるという行為そのものが、日常から非日常への移行を暗示する。地下に降り立った瞬間、柔らかな照明が落とされた空間が広がり、オープンキッチンからは炭火の香りが漂ってくる。かつてミシュラン一つ星を獲得したこの店で紡がれる物語は、まさに地下に眠る宝物のようだ。
シェフの小倉知巳氏は、伝統的なイタリア料理の基礎を大切にしながらも、常に進化を求め続ける探究者。その姿勢は提供される料理の一皿一皿に表れている。彼のYouTubeチャンネルでは料理の技法を惜しげもなく公開し、多くの人に影響を与えているが、その真髄は実際の店で味わう料理にこそ宿る。
店内は静謐さを湛えながらも、オープンキッチンが生み出す活気が絶妙な調和を保っている。カウンター席からは、シェフの繊細な手さばきを間近に見ることができ、それはまるで料理という名の舞台芸術を鑑賞するようだ。テーブル席も用意されているが、初訪問なら断然カウンター席がおすすめだ。料理人の息遣いが聞こえるほどの距離で、創作の瞬間を目撃できる贅沢を味わえるのだから。
「レガーロ」の真骨頂は、なんといっても炭火焼きと手打ちパスタにある。イタリアの伝統に日本の季節感を織り込んだ料理は、まさに文化の交差点。トラフグのブディーノ、イワシのカルパッチョ、フォアグラと卵のグラティナート。これらの前菜は、イタリアの調理法に日本の食材を用いた小倉シェフの創造力の結晶だ。
特筆すべきは、炭火で焼き上げられるメイン料理の数々。素材本来の味を引き出す炭火は、肉の旨味を閉じ込め、香ばしさを纏わせる。オリーブ牛の炭火焼きは、その代表格。外はカリッと香ばしく、中はしっとりとジューシーな肉質は、まさに炭火調理の極致を示している。
そして、もう一つの主役がパスタだ。小麦の風味を活かした手打ちパスタは、ソースとの一体感が格別。グリチア風パスタや和牛ボロネーゼなど、イタリアの伝統と日本の食材が融合した逸品の数々は、舌の上で物語を紡ぐ。アルデンテの絶妙な食感と、深みのあるソースが織りなすハーモニーは、パスタという料理の新たな可能性を感じさせる。
ワインにもこだわりが見られる。料理に寄り添うようなセレクションは、常駐するソムリエの確かな目利きによるものだ。イタリアワインを中心に、料理の味わいを引き立てる一杯を提案してくれる。
「レガーロ」で過ごす時間は、味覚だけでなく、視覚、嗅覚、聴覚、そして触覚までもが満たされる総合的な体験だ。地下という立地は、携帯電話の電波すら遮断し、食事に集中できる環境を創出している。シェフとスタッフの丁寧かつ温かみのあるサービスも、食事体験を一層豊かなものにしている。
参宮橋という閑静な地に佇む「レガーロ」は、都会の片隅に潜む味覚の迷宮だ。そこでは、イタリアと日本の食文化が交差し、新たな味わいの地平が広がっている。地下に潜むように存在するこの店は、まさに現代の食の冒険者たちを迎え入れる洞窟。扉を開けた者だけが、その真価を知ることができるのだ。
文・一順二(にのまえ じゅんじ)

