東京の片隅で猫と暮らす身としては、家で一人酒を嗜むことも多いが、時には外に繰り出して本物の酒場で旨いものを食べたくなる。そんな時、私がよく足を運ぶのが押上にある「もつ焼き まるい」だ。
スカイツリーの陰に隠れるようにして佇むこの店は、観光客の喧騒からは少し離れた場所にある。それでいて地元の常連たちで常に満席という、知る人ぞ知る名店なのだ。
初めて訪れたのは十五年以上前の冬の夜だった。取材で疲れた体を引きずるように押上駅を出て、小雨の降る暗い路地をたどり着いたのがこの店だった。控えめな店の明かりが雨に濡れた路地に映り、どこか懐かしさを感じさせる。
店内に足を踏み入れると、まず鼻をくすぐるのが香ばしい炭火の香り。カウンター越しに見える店主の手さばきは無駄がなく、四〇年以上の経験が生み出す職人技だ。古い居酒屋特有の煙と油と酒の入り混じった空気が、まるで時間が止まったかのような錯覚を与える。
常連客たちは店主と言葉を交わしながら酒を飲み、次々と運ばれてくる皿のもつを頬張っている。初めて来た客には少し入りづらい雰囲気かもしれないが、勇気を出して一歩踏み出せば、そこには下町の人情が溢れる温かな空間が広がっている。
「いらっしゃい。初めてかい?」
店主の第一声で、緊張は解けた。真っ白な作務衣に身を包み、額に汗を光らせながら串を焼く店主の姿は、まるで修行僧のようだ。
「おすすめは?」と尋ねると、「全部うまいよ」と笑いながら返してきた。これが謙遜でないことは、最初の一串で理解できた。
カシラの串が最初に届いた。シンプルに塩だけで味付けされたその一品は、見た目以上の深い味わいを持っていた。口に入れた瞬間に広がる肉の旨味と、噛むほどに染み出す肉汁。かたすぎず、柔らかすぎず、絶妙な火加減。塩加減も申し分ない。もつ焼きとは、本来こうあるべきなのだと思わせる逸品だった。
昔はレバ刺しで有名だったが、現在はメニューにない。今では、ホルモンや精肉の炭火焼きや馬刺しなどが主力メニューとなっている。どの皿も素材の良さを活かした調理で贅沢な旨味を堪能させてくれる。それでも各部位の持ち味を最大限に引き出す調理は見事だ。長年の経験が生みだす職人技。
酒も実に旨い。冷酒から熱燗まで、その日の気分や料理に合わせて選べるのが嬉しい。私はいつも最初の一杯は冷酒で、体が温まってきたら熱燗に切り替える。寒い日には最初から熱燗というのも悪くない。
私がこの店で気に入っているのは、押し付けがましいサービスがないことだ。必要最低限の世話はしてくれるが、あとは客の時間を尊重してくれる。一人で黙々と飲み食いすることも、隣の客と会話を楽しむことも自由だ。
猫と暮らす独身男には、時々こうした「一人の時間」と「他者との交流」のバランスが必要になる。家では猫が相手をしてくれるが、やはり人間同士の会話も時には必要なのだ。
この店には様々な客が訪れる。サラリーマン、地元の職人、たまに迷い込んだ外国人観光客。そして私のような、都会の隅で細々と生きる物書きの類も。だが、皆がここでは平等に旨いもつ焼きと酒を楽しんでいる。
寒い冬の晩、温かい料理と酒で体が温まる感覚は格別だ。店が混んでいても、店主は常に客の様子を見ながら、絶妙なタイミングで次の注文を聞いてくれる。長年の経験から来る、この気配りこそが老舗の真骨頂だろう。
何度か通ううちに、店主も顔を覚えてくれた。特に多くを語らなくても、常連と店主の間に流れる空気感がこの店の居心地の良さを作り出している。下町の飲食店特有の、あたたかくも押し付けがましくない距離感が心地よい。
「もつ焼き まるい」は、私にとって単なる飲食店ではない。疲れた時に立ち寄れる実家のような、そして私という存在を認識してくれる社会との接点のような場所だ。家に帰れば、待っているのは猫だけ。だが、ここには人の温もりがある。
スカイツリーという新しい東京の象徴の陰で、古き良き下町の味と人情を守り続けるこの店は、急速に変化していく都市の中で、私のような都会の漂流者にとっての心の拠り所なのかもしれない。
食の好みは人それぞれだが、本物を求める人には、ぜひこの店の扉を叩いてほしい。予約は必須だが、その手間を惜しまないだけの価値がある。ただし、足を踏み入れる際には覚悟が必要だ。一度その味を知ってしまえば、もう他の店では満足できなくなるかもしれないから。
文・一順二(にのまえ じゅんじ)

