秩父の山間から流れる川のせせらぎのように、地元の人々の間で静かに、しかし確かに受け継がれてきた食文化がある。その名も「高砂ホルモン」。埼玉県秩父市に根付いた、豚の内臓肉を炭火で焼いて食す郷土料理だ。
昨日、私は久しぶりに秩父を訪れた。西武秩父駅から徒歩で10分ほど、やがて鼻孔をくすぐる香ばしい匂いに導かれるように辿り着いたのは、煙が立ち込める一軒の店だった。入口の暖簾をくぐると、すでに地元の常連客で賑わっていた。
「ここの新鮮さは別格だよ」
隣に座った地元の男性が、焼き網の上で赤々と炙られるレバーをトングで巧みに返しながら教えてくれた。彼によれば、秩父でホルモンが広まったのは戦後のことらしい。食肉処理場があった地の利を生かし、在日韓国人が提供し始めたという説や、大阪から来た二瀬ダムの工事関係者がもたらしたという説など諸説あるが、いずれにせよ労働者の胃袋を満たすために発展してきた料理だという。
席に設えられた七輪の上で、レバー、腸(シロ)、心臓(ハツ)などの部位を次々と焼いていく。中でも驚いたのは、そのレバーの鮮度だ。生で食べたいと思うほどの艶やかな赤色をしており、焼くと表面だけが香ばしく変色して、内側はしっとりとした食感を残す。全く臭みがないのも特筆すべき点だ。
「タレが命なんだよ」
年季の入った店主が言った。彼の手によってつくられる秘伝のタレは、ニンニクをふんだんに使った醤油ベース。唐辛子の辛味がアクセントとなって、ホルモンの旨みを見事に引き立てる。このタレをご飯にかけて食べる「タレご飯」も地元では人気だという。
高砂ホルモンが他の地域のホルモン焼きと一線を画すのは、豚肉へのこだわりだ。全国的には牛のホルモンも多いが、秩父では養豚業が盛んだった背景から、豚の内臓肉を使うのが一般的となっている。また、多くの店では、あらかじめ茹でたシロを提供するスタイルも特徴的だ。これにより余分な脂が落ち、素材本来の甘みが際立つという。
店内には冷房がなく、首にタオルを巻いた常連客が団扇で扇ぎながら食事をする光景も。これぞ「高砂スタイル」と呼ばれる、昭和の雰囲気を色濃く残す食のスタイルだ。私も暑さと煙に包まれながら、冷えたビールとホルモンの絶妙な組み合わせを堪能した。
現在、秩父市内には「高砂ホルモン本店」「高砂ホルモン御花畑駅前店」「丹賀」「山田ホルモン」「焼肉ホルモン一番館」など、様々な店舗が存在する。それぞれに個性があり、タレの配合や提供するホルモンの部位も微妙に異なるため、食べ比べるのも一興だ。
店を後にして夕闇に包まれる秩父の街を歩きながら、この料理がいかに地域と深く結びついているかを実感した。単なる郷土料理を超え、秩父の人々の生活や歴史、そして記憶の一部となっているのだ。かつてセメント工場で働く労働者たちの胃袋を満たし、今では観光客をも魅了する高砂ホルモン。それは言わば、秩父という土地が生んだ、生きた食文化遺産なのだろう。
うちの飼い猫「ロキ」なら、この煙と熱気に顔をしかめるに違いない。だが、人間の私たちには、時に煙に包まれた熱気の中で汗を流しながら食べる料理こそが、何物にも代えがたい喜びを与えてくれるのだ。
文・一順二(にのまえ じゅんじ)

